あの日
揺れとともに
飾ってた造花が
ベッドに落ちてきた。
すぐにテレビをつけて
場所を確認
緊張が走った。
朝日が照らすより
もっと赤く
炎に包まれている光景に
言葉を
もっていかれた。
神戸の友人は
無事なのか。
画面を見続けても
何もわからない。
宝塚にある
友人の実家へ
聞いてみることにした。
それは
かけてもかけても
通じない電話だった。
間をあけつつ
何時間かけただろうか
呼び出し音に変わり
音が途切れた瞬間
「誰かが生きてる!」って
あんなに感じたことはない。
あちらでの
復興事業に
友人が携わることになり
本人以上に
余震を心配しつつ見送り
数年後
帰ってきたとき
ようやく
わたしの中でひとつ
区切りのようなものがついた
阪神淡路大震災。
あの瞬間に
傷ついたひとたちすべてに
祈りを
いま自分が生きていることに
感謝を。
0コメント